NPO法人日本ホームスクール支援協会理事、教育事業「みらいの学校」代表の北本の個人ブログ

教育について書くブログ

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子どもを序列化する教育システムについて思うこと

徒然に思うことを。

 

子どもを序列化する教育システム。
これは要するに、学校のテスト、通知表、内申点など数字で子どもを判断し序列化することです。

 

子どもを序列化する教育システムが本質的な教育ではないと思うのは、それは大人が子供を、先生が生徒を、親が子供を、ゆくゆくは社会で上司が部下を、淘汰しやすく制御しやすくするためのシステムであると思うからです。

序列化に伴う競争は、人を評価したり、その人の能力を見極めたりするための本質的なシステムではないと感じます。

 

非認知能力を測ろうとする取り組みも、近年は中学受験でも見られるようになり、学習塾などでも非認知能力を引き出したり高めたりする授業が組まれるようになりました。

しかし、これも受験現場で点数化されることは、せっかくの非認知能力の評価を無価値なものにしてしまう気がしています。結局は序列化されることが懸念されますから、非認知能力を点数化すること、あるいは点数付けされる教科試験に取り組まれることは避けてほしいなと感じています。

 

私は、教育現場での競争は、個の序列の為の競争は無意味であると考えている人間です。
本来は、チーム対チームで正解のない問いに取り組み、クリエイティビティを競うことが望ましく、正解のある問いの中を1点刻みで点数化する個の競争は廃止されるべきだと思っています。

 

個の競争というものは、主体的に取り組む者同士(極端な例でいえばオリンピックの個人種目のような競争)の戦いであるべきで、それは学校のシステムの中の安易な序列決め作業ではなく自ら求める競い合いであるべきです。学校教育の中で「学習能力」という材料で取り組ませる競争には無理がありますし、やはり、理想的な個の競争と対極にあるように見えます。 
(このような話をすると「受験生は自ら願書を出して受験するから主体的な個の競争だ」と言う学校も、もしかしたらもしかすると(あってほしくないけど)あるかもしれませんが)

 

 

学校教育の中で教育的価値を生む理想的な個の競争を取り入れることは困難だと思っています。個の競争は点数化による成績付けや点数による入学者選抜からの歪であり、それはその人の人間としての評価や魅力を見極める本質的な競争ではないからです。

今の日本での成績付けや受験は、その困難なことをやっているわけですから無理があるのです。また別の場所に歪が多く生まれてしまうのです。しわ寄せは、社会に。未来に。

 

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一方、これが先ほど述べたチーム対チームの競い合い(正解のない問いに取り組んでクリエイティビティを競うこと)になった場合、もちろん学習者が主体的であることが望ましいのですが、義務教育の中で子どもの「主体性」を拠り所に出来なかったとしても成立する学習システムになるのではないかと思います。

 

それは「みんなで力を合わせて同じことをやってどちらが早いか」なんていう大玉転がしをするようなことではなく、もちろん、チームメンバー全員の教科試験の総合点を競うようなものでもありません。

個々の能力を個々人が見極めてチームを作り上げ、何らかの創造的なプロジェクトを完遂する能力を育成する為の競争です。

 

社会では様々な現場で「個々人の能力を活かしあって協力して戦う」必要性を痛感するからこそ、それを小さな頃から学んでいてほしいと感じるのです。 

 

よりその人の個性を上手くチームに取り入れ、各々が主体的に自分の強みを活かし、楽しみ、誰かとの優劣ではなく「和」の中で発揮できる自分自身の向き不向きの優劣を考え学んでいくことが、教育現場に取り入れられる競争のあるべき姿ではないかと思います。

 

「和」の教育の質を追求することは、徹底した「個」の尊重と成長につながる。

それこそが、学校という教育現場が行える学習の強みだと思うのです。

 

 

私が知っている取り組みの中で、とても良い事例が、CURIO SCHOOLさんが行っているMONO COTO INNOVATION(モノコトイノベーション)です。

中高生がチームを作り、アイデアを形にして競い合うイベントです。
多くの企業がこの取り組みに賛同し、多くの中高生がコンセプトに共感してチャレンジしています。
そしてたくさんの教育的価値と社会的価値を生んでいます。

このモノコトイノベーションの第1回目に私の娘も挑戦し決勝戦まで進みました。だからとても身近にこの取り組みの素晴らしさを痛感しています。

 

そしてもうひとつ、私が主催した「みらいの学校2017Kids教育Festival」のイベント内で行われた高校生教育アイデアソンでは、チーム対抗と個人対抗の良い部分を掛け合わせて行うことが出来ました。
こちらは企画の段階と本番環境にズレが生じて結果として「良い部分の融合」となることが出来たので棚から牡丹餅な感じですが、この取り組みの中で勝ち上がった高校生たちの雄姿は本当に素晴らしかった。

 

モノコトイノベーションのような取り組みや、みらいの学校で出会った高校生達を見ると、1点刻みで能力を判断し、1~5の数字なんかで通知表をつけ、ましてやそれを基準に内申点がつくられ、内申点の数字で判断されて学び場を選ぶなんてことが如何に勿体ないことかがわかります。 

 

教育は、従来のシステムから大きく変革することはとても大変なことです。
でもいまその過渡期であることは確かで、ここで変革できない教育現場は、それこそ教育的価値のある教育を受けてこなかった方々の集まりなのかもしれません。

教育現場と言いましても、ホームスクーリングを実践する身としては、家庭もまた教育現場で、転ばぬ先の杖にばかりなってしまう親の意識の変革も必要だと感じています。

 

子どもを数字で縛るような教育システムから脱して、これからの子どもたちにより良い教育環境が広がっていくことに少しでも力添えが出来ないか考える日々です。

 

 

kitatakako.hateblo.jp