NPO法人日本ホームスクール支援協会理事、教育事業「みらいの学校」代表の北本の個人ブログ

教育について書くブログ

ホームスクールのこと 教育のこと デザインのこと 雑記

YES東京校のホームページができました

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YES東京校のホームページが出来ました。
 
サイトのデザイン構成や校正や記事や写真撮影やなんやらかんやら、子ども達がお世話になっておりますので私も色々とお手伝いさせていただいてます。
 
本当に今までになかった、私が理想とする学び場になっています。
 
学校などで行われているPBLとも少し違うPBLになっていますし、学びの始まりが子ども達の「やってみたい!」や「これが好き!」から始動しているところにとても大きな価値を感じています。
 
ホームスクールの子ども達だけでなく、不登校の子、普通に学校に行っている子、ハイブリットスクーリングの子など会員さんも多様です。
 
そして何より、OPENから1か月経っていませんが、私が感じた価値は子ども達のことだけではありません。
子育てに悩まない親なんていない訳で、こういったちょっと普通のレールとは違う道を歩いている(歩かざるを得ない)子の親の繋がりもまた、とても貴重で価値があるなと感じた1か月でした。
 
ぜひ、ご興味のある方、サイトのぞいてみてください^^
 

ホームスクール、インターナショナルスクール、フリースクールの卒業証書事情

 

ホームスクールについては、

「卒業証書はもらえるの?」

という質問が届きますが、結論から言うと「もらえます」

 

在籍小学校から、卒業証書がもらえなかったという事例は聞いたことがありません。
もしかしたら「もらえなかった人」は存在するかもしれませんが、もらえるはずがもらえない結論になった異例のことだと思います。

 

いつもこのブログで書いていることですが、積極的にオルタナティブ教育としてホームスクールを選択していたとしても、学校側から見れば「不登校児童」です。
これは、実は、一部のインターナショナルスクールでも当てはまります。

 

インターナショナルスクールは就学義務違反?

多くの人が知らないのですが、インターナショナルスクールは「一条校」(学校教育法で規定された学校)である場合と、一条校ではなく「各種学校」と認められている学校と、またどちらにも属していない学校があります。

要は認可・無認可が存在します。

保育園でも、認証、認可、無認可・・の振り分けがありますね。それと似ています。
保育園では家庭側から見た違いは値段くらいなもんですけど、義務教育に入る小学校となると大きく変わってきます。

 

一条校と認められているインターナショナルスクールに通うことは、普通に小学校に通っていることになります。即ち、小学校の卒業証書ももらうことができ、地域の公立の中学校にも進学可能です。

 

しかし「各種学校」と認可されているインターナショナルスクール、または無認可のインターナショナルスクールは、学校教育法に於いて、就学義務を履行したことにはならず、小学校卒業資格を得ることが出来ません。

 

文科省のホームページにもはっきり記載されています。

例えば一条校でないインターナショナルスクールの小学部を終えた者が中学校から一条校への入学を希望してきても認められないこととなります。インターナショナルスクールの中学部の途中で我が国の中学校へ編入学を希望する場合も同様です。

 

各種学校でさえも、義務教育を履行したと認められないのです。
実際に、何校かの公立小学校に問合せたところ「インターナショナルスクール在籍の児童に対しては卒業証書を出していない」とのご回答をいただきました。

 

ホームスクール・フリースクールは卒業証書が出るの?

インターナショナルスクールに通っている子は卒業証書は出ませんが、ホームスクールやフリースクールの子ども達は多くの場合、校長先生の判断で卒業資格を得ることができます。学校外の学び場に属していない不登校児童でも、卒業証書が出ます。

このジレンマはインターナショナルスクールに通うご家庭はどのように感じるでしょうか。

フリースクールの中には「各種学校」と認められているところもあるようですが、そこに通う子ども達が在籍校から卒業証書を受け取ることが出来ているのかは調査中です)

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現状の制度

現状は小学校での「卒業証書が出ない」=「卒業資格がない」ということになり、一条校の中学校には進学することはできません。

都内の某区の学務課に「地域の中学校に進学を希望しても入学できないのですか?」と問い合わせたところ、「できません」との回答が届きました。

「学校に1日も登校していない不登校の子への卒業資格はあるが、6年間、各種学校に属しているインターナショナルスクールで学び育った子には卒業資格はない」のだそうです。

現状は、とても大きなジレンマを抱えています。

 

更に「憲法教育基本法においては、中学校も義務教育と分類されています。地域の中学校に進学できませんということは憲法違反にはなりませんか?」と、お聞きしましたが、「学校教育法に則っています」との回答に留まりました。

 

ジレンマの解決

実際はインターナショナルスクールに通いながらも卒業証書をもらっている子もいるようで、詳細を聞くとホームスクールやフリースクールと同様、卒業証書をもらえるかどうかは地域の在籍校との関係性にかかっているのが現状です。

地域の小学校の判断だけに委ねずに、もっと多様な教育を認められるような具体的なものが必要なのではないでしょうか。

 

例えば、高校を出ていない方が大学を目指す場合は「高等学校卒業程度認定試験」(旧大検)を受けて資格を取得することが出来ます。又、何らかの事情で中学校の卒業資格のない子が上級学校(高等学校以上)を目指す場合も同等に「中学校卒業程度認定試験」を受験するシステムになっています。

 

これは、小学校にも必要ではないでしょうか。小学校卒業程度認定試験。
地域の小学校の校長先生の面談等でもいいですし、ポートフォリオでもいいとも思います。

何らかの事情で小学校の卒業資格を得ることが出来なかった子が、また何らかの事情で地域の中学校に通いたいとなった時の救済措置は必要ではないでしょうか。

 

地域の公立校の役割とその他の大人の役割

各種学校に分類されるインターナショナルスクール、フリースクール、ホームスクールの子ども達に対して、公立の小学校がすべきことは共通していると思います。

 

とても大切なひとつの役割は「在籍する子ども達が安心安全に教育を受ける権利を行使しているかどうかの監督」ではないかと思います。

「監督」という言葉を使うと拒絶反応を起こすご家庭もあるかもしれませんが、国として子どもの安心安全を見守る義務がある以上、公立校の先生達は学習と並行して子どもの安全を見守る第三者としての役割がとても大きいと思います。

 

そして、各種学校に分類されるインターナショナルスクール、フリースクール、ホームスクールで子どもを育てる親たちがすべきことは「子ども達が教育の権利を行使し、安心安全に過ごしていると在籍校に認知してもらうこと」だと思います。

オルタナティブ教育を選択するご家庭と、一般的な公立校の先生達との間では教育観が合わずに意見の対立もあるかもしれません。

でも違う意見であっても、一番大切なのは「子どもファースト」であることです。意見の食い違いがあっても、子どものためにお互いの考えを共有し続けることがとても大切です。

特別何らかの事情でどうしても学校との面談を拒絶するご家庭があるとすれば、それはソーシャルワーカーさんなどが、代わりに行うことも必要でしょう。民間組織が入ることも必要かもしれません。

 

義務教育における多様な教育はまだまだ、守られるためのシステムが必要な気がしています。

 

kitatakako.hateblo.jp

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国内初のホームスクーラーの為の学校(アンブレラスクール)がOPEN!|YES International School東京校

お久しぶりのブログ更新です。

いつも「ブログ読んでます」と誰かに言われる度に更新していない後ろめたさに苛まれていましたが(笑)
これでまた1か月くらい解放される!(違

 

さて、アメリカでは全州で合法化されているホームスクールですが、その教育実態の管理や把握を州によってはアンブレラスクールという学校に任せています。
このアンブレラスクールとは、ホームスクールの子ども達が政府の基準に則った教育を受けているかを監督する学校であり、言わばホームスクーラーの為の学校です。

 

日本にはまだありません。

 

が!!!!

その国内初のアンブレラスクールを目指して、明日2018年5月16日、YES International School東京校がOPENします!

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そして、YES東京校は、NPO法人 日本ホームスクール支援協会の認定校にもなりました。

homeschool.ne.jp

 

ホームスクーラーの我が子たちもYES東京校に通うようになります。

学校とは言え、主役はホームスクール
親と一緒に過ごし一緒に学びます。
他のホームスクーラーとも交流しながら自分の好きなプロジェクトに着手しながら、必要であれば教科学習も習得できます。

 

毎日いなければいけないという強制もないし、
何時から何時はいなければいけないという拘束もありません。

 

ここに集う子どもたちの学習は、自由であり、主体的であり、そして何より楽しいのです。

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私が経営する会社内で「みらいの学校」という教育事業を行っています。

もともと教育イベントから出発した事業ですが、2014年のイベントが終了した後から「Learning Port」という構想をずっと持っていました。

 

これは、学びや学び場のシェアです。
学び場は港となり、子ども達は様々な港を渡り歩き多くの経験を積む冒険者だというイメージです。

 

当時から色んな人に学びのシェアや流動、自由についての重要性を伝えてきましたが、なかなか理解してくれる人も少ないのです。

 

私がこのYES東京校にホームスクーラーとして、またNPO法人日本ホームスクール支援協会の理事として関わらせていただくようになった時、ここの校長でもあるサイエンス作家の竹内薫さんが、こんな風にこの東京校のコンセプトを私に伝えてくださいました。


「人生を長い航海とするならば、何をどんな風に学ぶかは、船出のようなもの。でも、やみくもに海に出ても迷ってしまいます。
多彩なプロと触れ合うことで、人生の羅針盤(コンパス)の方向を定める。
YES Homeschool×PROは、そんな旅の出発点でありたい。」

 

 

と!!!!!

 

まさに!!!

私がずっと思い描いていた「Learning Port」の思想とがっちりはまりました。

 

※YES Himeschool×PROとは、YES International School東京校で行われる才能発掘プロジェクトのことです。

 

とても大切な、大きな教育思考が一致したことは、私がこのYES東京校に関わる大きな動機となりました。

ホームスクールを主体としながら、場を持って和を作り、プロジェクトベースで専門家と繋がりながら多くの学習を可能にするこのYES東京校は、日本のホームスクールの要になっていくのではないかと思っています。

 

現在CAMPFIREファンクラブでも賛同者を募っています。

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https://camp-fire.jp/projects/view/73140

これから始まる新しい生活に、今は子ども達も胸躍らせています。

 

さて、明日がいよいよ開校です!

 

楽しみだな(*'▽')♪

ホームスクーラーが見る教育機会確保法(2)

 

 

kitatakako.hateblo.jp

 

現場での混乱

実は最近、個人的に公立小学校から見たホームスクールの実態調査をしています。

まぁ「調査」というほど大げさなことではなく、公立小学校の先生にお話を伺っています。

 

教育法規は既に学んでいるはずの現役の先生方でも、去年施行されたばかりの教育機会確保法については、その施行までの流れや法の内容そのものについても詳細をご存知なかったりします。それらの情報を獲得する手段や学ぶ時間がとても少ないのだと思います。

法律云々よりも、いま目の前にいる生徒たちと業務が最優先の状況なのでしょう。

 

私が伺った一部地域では平成28年文科省から通知された「不登校児童生徒への支援の在り方」という文面が現場の教員まで届いていないケースもありました。
現場の先生が通知自体をご存知なかったんです。

中には詳しい方ももちろんいらっしゃいましたけど、実際に法律や文科省の通知に照らした対応を現場でしていらっしゃる方とは、私はお会いできていません。

私がお話を伺った先生方は、不登校児童に対して法がどうあれ、上からの通知がどうあれ「こういう対策をするべき」とのシステムからの一辺倒で本人と向き合うのではなく、その子と自分(教師)の1対1の信頼関係がまず第一に構築されるべきだとの考えの先生が多い印象でした。

 

まだまだ調査している数は少ないので今後、私の考えも変わる可能性がありますが、

実際に現場で話を伺って、この教育機会確保法は先生や子どもの為になっていないかもしれないと思いました。学校から見れば「便利だな」という認識はあっても実際は利用されないかもしれないと感じました。

 

そして何より、一般家庭の親にはほとんど浸透していません。

 

この法が施行された今でも、ある日、昨日まで何事もなく学校に通っていた子どもが急に不登校になったら・・もしその時「教育機会確保法!」と旗を掲げられたのなら、現場では混乱が生まれるだろうなと思ったのが、少しだけ調べていて思った私の感想です。先生も家庭も、双方で混乱が起きるだろうなと。
 

今の段階での私の考えでは(いや、まだ少数の先生のお話を直接伺っただけなので偉そうな結論付けは出来ないのですが)教育機会確保法が施行されても、そもそも現場で法律をどうのこうの解釈して「児童のためになる」何らかの行動がとられるということは考えにくいなという印象です。

 

では、この教育機会確保法は何のためにあるのか。

この法が施行されることで得するところはどこなのか。

リスクを負うのは誰なのか。

 

ホームスクーラーと確保法

さて、ホームスクーラーがこの教育機会確保法をどのように解釈すればいいのか。
とても難しいと思います。

この法は国からの学校への措置の要請や、民間企業の義務教育参入のための法だと受け止めると分かりやすいかと思いますが、ホームスクールのいち家庭がこの法を盾にホームスクールの継続を訴えることはあまり意味がないかもしれません。

 

先ほども言いましたが、この法を現場で不登校家庭に対してどうこう利用するということは少し考えにくいように私は思っています。
多くの民間企業が不登校支援に乗り出してきましたがこれも教育機会確保法の成果と言えると思います。これらが不当児童への強制介入につながる恐れもありますが、クラスジャパンプロジェクトへの一連の批判と、その後のプロジェクトの動向を目にしているとそんな安易に恐ろしいことにはならないと思えます。

 

ただし、やはりこの法を家庭として利用するならば、ホームスクーラーにとっての利点はあまりなく、家庭と学校によっては法を逆手にホームスクールへの監視や学校からの介入が増える可能性もあるなと思います。

 

そもそもホームスクーラーの中には「ホームスクールは不登校ではない」という認識をされている方もたくさんいます。
私も思想的にはホームスクールと不登校は別だと思っています。
積極的に学校以外の学び場を選択しているのであって、ホームスクール=ひきこもり や ホームスクール=不登校による自宅学習 ではないのです。


ただ、学校から見れば籍のある児童が登校していない状態は不登校と判断されるわけですから不登校児童とされます。
これは知らない方も意外と多いのですが、インターナショナルスクールでさえも学校教育法に於ける就学義務を履行したことにはならないのです。つまり学校側から見ると不登校の括りになります。
※中には一条校(学校教育法で認められた学校)として認められているインターナショナルスクールもあります。

インターナショナルスクールも然り、ホームスクールも、自ら学校外の学びを選択した家庭にとって、教育機会確保法の「不登校児童生徒が行う多様な学習活動の実情を踏まえ、個々の不登校児童生徒の状況に応じた必要な支援が行われるようにすること」(基本理念第三条二)なんて言われましても、在籍の学校側からの必要な支援は何かと問われたとしましても、「放っておいてもらうこと」が正直なところであるわけです。

 

ですがこの法は、わざわざ学校が不登校児童の状況を把握し、何らかの介入をすべきだと捉えることができるわけですね。
アンスクーリングの家庭は「これが教育?指導要領に全く沿っていない!」なんて言われてしまう可能性もあるわけですから、そうなると、積極的に学び場を選択したということよりも、我が家で言えば末娘の場面緘黙症などを盾にしなければならなくなるわけです。

 

「この子はこの特質によってこれが出来ないからホームスクールなんだ」というネガティブな学び場選択を主張しなければならなくなる。
個人的には、これは子どもの尊厳を損なう気がしてならないのです。

 

ですが、私はこの法をポジティブに解釈して学校側とホームスクーラーが手を取りあういい機会として捉えることも出来るなと思っています。

完全に教育観の違いはありますから、本音を言えば学習の介入は嫌なんですけど、学校側とホームスクーラーは子ども達を取り巻く社会の大人としての連携が出来ればいいのではないかと思います。

 

あくまで、積極的にホームスクールを選択し、学校側に対する児童の心理的な抵抗感が無ければなのですが、

児童の状況の把握は、親と先生との対話に変換する。
「監視されている」ではなくて子どもの状況を安全安心の確認を義務とする第三者との情報共有だと考える。

児童への必要な支援は、学校側からの教育の選択肢の提示などに変換して考えてみてはどうでしょうか。
「介入」ではなく、国の公的な教育現場からの情報提供や、学習の選択肢の幅を広げるための「提携」のように捉える。

ホームスクーラーのために図書室の利用や校庭や体育館の利用も可能にしてくださっている学校もたくさんあります。
また、学校から学習用品の注文も代行してくれるので、我が家も定期的にお願いしています。

 

そこに何らかの強制や圧力を生むものではなく、家庭と学校の双方の歩み寄りで、より子どもの自立した学習と自己肯定感を守ることにもなります。

 

ホームスクールをしている子どもを取り巻く大人としては、
学校側は無理な登校を促さない。
家庭は頑なに学校を拒否しない。
誰のためなのか原点に立ち返って、必要なもの、こと、ひとを最大限に提供し合うことが理想的ではないかなと思います。

 

強調しますが、強制ではなく、歩み寄りで。

以上、ホームスクールについても確保法についても、何らかの基礎知識がないとあまり話が通じないかもしれませんが・・当事者の方の参考になればいいなと思い書かせていただきました。

個人的なブログなので個人の考えです。

 

 

ホームスクーラーが見る教育機会確保法(1)

 

教育機会確保法

教育機会確保法という法律が2017年2月に施行されています。

正式名称は「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」というものです。>詳細

 

法案が通る前から随分と賛否両論がありました。

私が見ていた限りでは、もともと目指した方向性からは主軸が少しズレましたがが、全国フリースクールネットワークさんをはじめ多様な学び保障法を実現する会の皆さんが不登校の子供たちの学びの多様性を法律で認めさせ、学校以外でも学ぶことの権利を保障させようと法案成立へ向けて動かれた数年間は並々ならぬ努力があったと思います。

 

しかし、彼らとは別で不登校を支援する多くの団体、当事者も含む個人の方々がこの法案について「不登校の子供をさらに追い詰めるのではないか」と反対の声をあげました。
不登校・ひきこもりを考える当事者と親の会ネットワークの皆さんは、不登校は「命の非常口」であり、その不登校を法律で定義づけし不登校児童を管理、対策することは子供達の命を脅かすものになりかねないと警笛を鳴らしました。

こちらのブログは2016年11月で更新が止まっていますが、当時の経緯がとても詳しく掲載されていますのでご参考に。

ftk.blog.jp

ブログ内に掲載されていた反対声明のPDFもご意見がわかりやすいです。
「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する
法律案」 について「不登校対策」にかかわる部分の白紙撤回を求めます

 

大きな分かれ目

この教育機会確保法ですが、実現に向けて尽力した「多様な学び保障法を実現する会」や、法案段階での名称「多様な教育機会確保法案」などを見ても分かるように「多様」という言葉がキーワードであったにも関わらず、施行された法の正式名称は「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」通称「教育機会確保法」というものになりました。「多様」という言葉はどこに行ってしまったのでしょう。

この件について、全国フリースクールネットワーク代表理事である奥地圭子さんは書籍「教育機会確保法の誕生 子供が安心して学び育つ」の中でこのように語っています。

まず、名称から「多様な」が消え、本文からも「多様」という言葉がかなりなくなっていました。それは、この法案の性質が、学校外の学びに道を拓こうとして出発したのですが、「フリースクール活用の子どもは一部に過ぎない。不登校全体を救う法律にすべき」「学校を変えてすべての子が安心できるようにすべき」などの意見を受けて、不登校支援を色濃くしたのだなという印象を受けました。

 

 

フリースクールの公的な位置づけは思うように確保されず、文科省不登校対策を法律による固定化に繋げるための法案へと転換されたんですね。(フリースクール法案→不登校対策法案へ)
これによりフリースクールなど学校外の教育機会を法的に位置づける為ではなく不登校児童をまるっと一括りにして管理するような動きに大きく変化したのではないでしょうか。

 

それが一部の不登校児童にとっては脅威となってしまいます。「不登校」と定義し管理され学校と繋がることによって人権そのものが脅かされてしまう子がいます。ひいては自死のリスクにも繋がりかねない子の存在です。

 

不登校の支援なら、それは結構なことではないか。喜ばしい対策ではないか。」と仰る方もたくさんいらっしゃいますが、学校による家庭訪問などの支援や、「児童生徒理解・教育支援シート」を活用した計画的支援が一部の不登校児童をかえって追い詰めることになるのではないかと私は心配しています。 

つい先日、不登校新聞の編集長の石井志昂さんがこのような記事を書いていました。

news.yahoo.co.jp

この記事を読んでいただけると、学校という存在が不登校を選択した一部の児童に付き纏うことのリスクの片鱗が見えるかもしれません。

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不登校を定義すること

この法律の中で、「不登校」が定義されています。

第一章 総則
(定義)第二条
不登校児童生徒 相当の期間学校を欠席する児童生徒であって、学校における集団の生活に関する心理的な負担その他の事由のために就学が困難である状況として文部科学大臣が定める状況にあると認められるものをいう。

不登校を選択した児童には「不登校はこうである」という定義で一括りには出来ないほど、多様な理由とそこから枝分かれした状態の子ども達がいます。
中でもホームスクーラーは特殊でしょう。

 

言葉の意味として「不登校」は「不」「登校」であるので、学校に「登校していない」そのままの"状態"を言葉自体は表しますが、このように「不登校」を意味付けして法律で分類することが「登校していない」ことを問題視してしまうのだと感じます。 

文科省平成27年1月に発足させた「不登校に関する調査研究協力者会議」による最終報告では、不登校児童を支援する上での基本的な姿勢として「その行為(不登校)を「問題行動」と判断してはならない」と結論付け、それを文科省平成28年の「不登校児童生徒への支援の在り方について」という通知の中で明記していますので、ここに矛盾が生まれます。

そして法案が審議される過程で「不登校を助長する」という理由によって、フリースクールが義務教育として位置づけられることが反対され、見送られました。
「助長する」とは「悪化する」ことを言います。文科相の通知からは、不登校は問題行動ではないと判断されるべきなので「助長する」という言葉は不適切であり、これによって(不登校を定義することを含めた)この法律が壮大な矛盾となるのです。

 

少し、ネガティブな見解を並べましたが、この法律によって守られる存在があることも事実です。
学校に行かないことを選択した児童を問題視しない道筋が作られたことも評価されるべきだと思うし、学校が全ての教育のニーズに応じきれているわけではないと、この法の施行によって明確化できたのだと私は感じています。

 

 ホームスクーラーとしての思い

私は平成26年~28年当時、この賛否両論の渦中には足を踏み込まず、この件に関してはインターネット上で記事を読んだり、動画を見たりしているに留まっていました。
施行された今となっては、本を読んだり、実際にこの法律がどのように使われているのかを個人的に調べたりしています。

ホームスクールの支援に関わるようになってからは、私もこの法案に賛成か反対かを聞かれることがありますが、施行された今、賛成か反対かを論じるよりも、ホームスクールの支援者の一人として法をどのように解釈し、ホームスクールの当事者としてどのように利用すればいいのかを考えるべきだと思っています。


この法によってホームスクーラーに及ぼされるリスクは何なのか。この法でホームスクールをしている子供達が守られることがあるのか。そこを見極めることが大切であると思っています。

少し長くなってしまったので、ホームスクーラーがこの法律をどのように受け止めるべきなのか、続きは次のブログで書きます。

 


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本ブログは個人的な見解です。
間違いやご指摘等ある場合はご連絡いただけますと幸いです。

 

kitatakako.hateblo.jp

 

 

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アンスクーリングとは|ホームスクール

ホームスクールを行う家庭の学び方は様々ですが、
我が家の末娘はアンスクーリングで学んでいます。

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ホームスクールとは

まず「ホームスクールとは?」と未だに聞かれることがあるので簡単にご説明しますと、学校には通わずに自宅を学習の拠点として学ぶ学び方です。
アメリカでは2015年の統計でホームスクーラー(ホームスクールを実施する児童または世帯を指します)の数は200万人を超え、現在全州でホームスクールが何らかの形で法的に容認されています。

アメリカだけではなく世界各国にその教育の流れは広がっており、日本でもホームスクーラーは増加傾向にあります。最近ではホームスクーラーが大手メディアからも取材されることも増えてきました。
不登校が12万人を超え、社会問題化している日本においてホームスクールという学び方を選択する学習者自身も増えていくと考えられます。

 

ホームスクーラーの中には地域の公立学校に籍を置き、たまに登校している方もいれば、全く登校しない方もいます。
学び方はご家庭やその子ひとりひとりにより様々です。
学校でやることと同じようなカリキュラムで進めていく方法をとる方もいれば、子どもの主体性に沿って自由に学ぶスタイルを選ぶ人もいます。

アンスクーリングとは

ホームスクールをするご家庭の様々な学び方の中で、「アンスクーリング」という学び方を選択しているところがあります。我が家の末娘もアンスクーリングです。
元々はホームスクールの主唱者であるアメリカの教育者ジョン・ホルトが提唱した学び方です。

アンスクーリングは「教育とは学習者主体であるべきだ」との考えで子ども達自らの好奇心や探究心によって学び続ける学び方です。

子どもの主体性に徹底して寄り添い、その探究心から発生した学びを親が手助けし深める学び方なので、子どもが何かに興味を持つまで親は教えません。
読み書き算盤も、子どもが「学びたい!」となるまで教えません。

 

しかし、私の経験上、興味の芽が出ない子どもはいません。
「花はなんで綺麗なんだろう」
「どうして冬は寒くて夏は暑いの?」
「朝ごはん食べたのにお昼になるとまたお腹すくのは何で?」
「夜は鳥の鳴き声が聞こえなくなるのは何故?」
生活の中での小さな疑問、探究心は子どもは常に持っています。

 

先日、我が家の末娘は「人はなぜ話すことができるのか」という問いを持ちました。
場面緘黙症の彼女が不思議に思った自然な問いでした。

そこから「声」や「脳」についての探究が始まりました。
そうこうしているうちに、自然と「この漢字はどう書くんだっけ?」とか「この字は何て読むの?」と読み書きにつながっていきます。
そしてまたある時は、おせんべいの大袋を買った末娘が「3枚で20円で売ったらみんな買いに来てくれるかな?」と言いました。
おせんべいは20枚入りで160円。
私「そうだね、でも全部売れても、あなたに儲けはないわね」
末娘「なんで?」
私「計算をしてみようか」
そんな風に掛け算、割り算がスタートしました。


アンスクーリングでは、教科型学習のドリルなどに書いてあるような、
「おせんべいが20枚入っている袋が160円で売られています。おせんべいは1枚あたりいくらですか?」
という出題を先にしません。
子どもの問いが学習のスタートです。

日常の中に持った疑問や好奇心、探究心を親が聞き逃さないようにします。
それらをどうやって拾って深掘りし学習の手助けをするかなのです。

もちろん、親が博識である必要もありません。
一緒に「なぜ」を追求していきます。
アンスクーリングは教えないことではないのです。
一緒に学ぶこと。
そして親が教えてもらう側であるとも思っています。

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アンスクーリングはネグレクトではない

アンスクーリングを行う学習者が小学生以下である場合「学校や地域の方からネグレクトと間違えられるかもしれない」と心配する方がいます。

教科型学習をしていないからです。
教科書やドリルを使うことはあっても、それを基準に学ぶのではなく、必要な時にそれらのツールは登場し、必要のない場面では隅に追いやられるものです。
教科書は学びの主役ではない。

でも教科書を使わないからと言って「教育をしていない」ということではありません。先ほどの例をとってみても、「教えない」という表現は全く違うという事はお解りいただけるかと思います。
そして、実際にリアルで、アンスクーリングのご家庭と対面でお話した時に、子どもを見れば明らかに違いが分かるものです

 

「アンスクーリング」という表面上の言葉の意味だけを掬えば「子どもを学校に行かせていない?」「家で教科書もドリルもやっていないの?」「教育放棄?」「ネグレクトかも?」とかなり話が飛躍されることもありますが、大きな誤解です。

 

「アンスクーリング」という言葉を盾に放置目的でホームスクールを選択する親はすぐに見抜けるはずです。それだけこの学習スタイルは安易に選択が出来ないほど高度だと思います。
親の、フットワークの軽さと住む土地に合った経済力、そしていわゆる教科型学習の基礎学力の習得にズレが生じても根気よく子どもの探究心を待つ事の出来る忍耐力は必須です。

 

本来の意味でアンスクーリングを選択する親は教育哲学がしっかりしている方が多いです。そしてビジネス書なども読み、熱心に勉強していらっしゃる方も多い。
それは子どもたちの教育の先に社会があることを分かっているからです。
そして彼らは子どもと社会との繋がりを求め、子どもを家に閉じ込めることはしません。むしろ積極的に外へ出向きます。人と関わります。
そこは家に子どもを隠す傾向にあるネグレクトとの大きな違いです。

 

アンスクーリングのご家庭こそ、社会と繋がりを持ちます。持とうとします。
地球に敬意を払い、社会と繋がり、未来を創造する為の「アンスクーリング」だと私は思っています。学校に通う子や教科型学習で学ぶ子の何倍も世の中と繋がる学び方であるはずです。

 

以上、私のアンスクーリング論でした。

 

子どもを序列化する教育システムについて思うこと

徒然に思うことを。

 

子どもを序列化する教育システム。
これは要するに、学校のテスト、通知表、内申点など数字で子どもを判断し序列化することです。

 

子どもを序列化する教育システムが本質的な教育ではないと思うのは、それは大人が子供を、先生が生徒を、親が子供を、ゆくゆくは社会で上司が部下を、淘汰しやすく制御しやすくするためのシステムであると思うからです。

序列化に伴う競争は、人を評価したり、その人の能力を見極めたりするための本質的なシステムではないと感じます。

 

非認知能力を測ろうとする取り組みも、近年は中学受験でも見られるようになり、学習塾などでも非認知能力を引き出したり高めたりする授業が組まれるようになりました。

しかし、これも受験現場で点数化されることは、せっかくの非認知能力の評価を無価値なものにしてしまう気がしています。結局は序列化されることが懸念されますから、非認知能力を点数化すること、あるいは点数付けされる教科試験に取り組まれることは避けてほしいなと感じています。

 

私は、教育現場での競争は、個の序列の為の競争は無意味であると考えている人間です。
本来は、チーム対チームで正解のない問いに取り組み、クリエイティビティを競うことが望ましく、正解のある問いの中を1点刻みで点数化する個の競争は廃止されるべきだと思っています。

 

個の競争というものは、主体的に取り組む者同士(極端な例でいえばオリンピックの個人種目のような競争)の戦いであるべきで、それは学校のシステムの中の安易な序列決め作業ではなく自ら求める競い合いであるべきです。学校教育の中で「学習能力」という材料で取り組ませる競争には無理がありますし、やはり、理想的な個の競争と対極にあるように見えます。 
(このような話をすると「受験生は自ら願書を出して受験するから主体的な個の競争だ」と言う学校も、もしかしたらもしかすると(あってほしくないけど)あるかもしれませんが)

 

 

学校教育の中で教育的価値を生む理想的な個の競争を取り入れることは困難だと思っています。個の競争は点数化による成績付けや点数による入学者選抜からの歪であり、それはその人の人間としての評価や魅力を見極める本質的な競争ではないからです。

今の日本での成績付けや受験は、その困難なことをやっているわけですから無理があるのです。また別の場所に歪が多く生まれてしまうのです。しわ寄せは、社会に。未来に。

 

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一方、これが先ほど述べたチーム対チームの競い合い(正解のない問いに取り組んでクリエイティビティを競うこと)になった場合、もちろん学習者が主体的であることが望ましいのですが、義務教育の中で子どもの「主体性」を拠り所に出来なかったとしても成立する学習システムになるのではないかと思います。

 

それは「みんなで力を合わせて同じことをやってどちらが早いか」なんていう大玉転がしをするようなことではなく、もちろん、チームメンバー全員の教科試験の総合点を競うようなものでもありません。

個々の能力を個々人が見極めてチームを作り上げ、何らかの創造的なプロジェクトを完遂する能力を育成する為の競争です。

 

社会では様々な現場で「個々人の能力を活かしあって協力して戦う」必要性を痛感するからこそ、それを小さな頃から学んでいてほしいと感じるのです。 

 

よりその人の個性を上手くチームに取り入れ、各々が主体的に自分の強みを活かし、楽しみ、誰かとの優劣ではなく「和」の中で発揮できる自分自身の向き不向きの優劣を考え学んでいくことが、教育現場に取り入れられる競争のあるべき姿ではないかと思います。

 

「和」の教育の質を追求することは、徹底した「個」の尊重と成長につながる。

それこそが、学校という教育現場が行える学習の強みだと思うのです。

 

 

私が知っている取り組みの中で、とても良い事例が、CURIO SCHOOLさんが行っているMONO COTO INNOVATION(モノコトイノベーション)です。

中高生がチームを作り、アイデアを形にして競い合うイベントです。
多くの企業がこの取り組みに賛同し、多くの中高生がコンセプトに共感してチャレンジしています。
そしてたくさんの教育的価値と社会的価値を生んでいます。

このモノコトイノベーションの第1回目に私の娘も挑戦し決勝戦まで進みました。だからとても身近にこの取り組みの素晴らしさを痛感しています。

 

そしてもうひとつ、私が主催した「みらいの学校2017Kids教育Festival」のイベント内で行われた高校生教育アイデアソンでは、チーム対抗と個人対抗の良い部分を掛け合わせて行うことが出来ました。
こちらは企画の段階と本番環境にズレが生じて結果として「良い部分の融合」となることが出来たので棚から牡丹餅な感じですが、この取り組みの中で勝ち上がった高校生たちの雄姿は本当に素晴らしかった。

 

モノコトイノベーションのような取り組みや、みらいの学校で出会った高校生達を見ると、1点刻みで能力を判断し、1~5の数字なんかで通知表をつけ、ましてやそれを基準に内申点がつくられ、内申点の数字で判断されて学び場を選ぶなんてことが如何に勿体ないことかがわかります。 

 

教育は、従来のシステムから大きく変革することはとても大変なことです。
でもいまその過渡期であることは確かで、ここで変革できない教育現場は、それこそ教育的価値のある教育を受けてこなかった方々の集まりなのかもしれません。

教育現場と言いましても、ホームスクーリングを実践する身としては、家庭もまた教育現場で、転ばぬ先の杖にばかりなってしまう親の意識の変革も必要だと感じています。

 

子どもを数字で縛るような教育システムから脱して、これからの子どもたちにより良い教育環境が広がっていくことに少しでも力添えが出来ないか考える日々です。

 

 

kitatakako.hateblo.jp

 

ホームスクールと世間の批判について

私が取材を受けてそれが記事になると必ず叩く人が現れるから、私の友達は傷つくのだそうです。
 
友達が叩かれていると。
 
ホームスクールをしているご家庭も「ホームスクールについて叩かれている」と感じて傷つくのだそうです。
 
自分たちが叩かれているようだと。
 
 
我が家は大丈夫だからと思うけど、大丈夫じゃない人もいる。
ホームスクールについての批判は「学校に行かないことへの批判」が直接的についてくるので、不登校の子やご家庭も傷つけやすい。
 
 
だから、このブログで少し話したいと思います。
 
傷つかないで欲しいなとの思いで。
 
 
 
 
 
 
まず、私は、
コミュニケーションとは相手への思いやりだと思っています。
  
 
この人は何が言いたいんだろうか。
この人の言葉をどう受け止めたらいいんだろうか。
 
そうやって相手の言葉と向き合うのがコミュニケーションだと思っています。
 
 
上手く話せない人に向かって「コミュ障だ」と言う人こそコミュニケーションが出来ない人なんじゃないかと思うわけです。
 
 
だから、
 
匿名で、
 
顔の見えない相手が一方的に毒を吐いていることは、
 
コミュニケーションではないんです。
 
 
それを受け止めて、誰かが傷つく必要はないんです。
受け止めたくないことなら、無視でいいんです。
 
 
 
もしかしたら中には「ホームスクールなんてやっている奴らを陥れたい!」と思っている人が悪意を持ってネットに書き込んでいるかもしれないけど、
 
それは、それだけのことであって、
 
私たちの努力や、生き様を傷つける要素にはならないと思うんです。
 
 
中にはごもっともなご意見もあると思いますし、
筋の通った「ホームスクール批判」もあると思います。
 
 
でもそれも、その人の意見であって、
私達の生き方を変える判断にはならないんです。
 
 
学校に行かないこと、
学校へ通うことの意味、
協調性とは、社会性とは、
10年後の社会、20年後の社会・・
 
 
私達はそれを、
どれだけ考えたでしょうか。
ただ単に子どもの入学式を迎えた親たちの何倍も考えたはずです。
 
どれだけ悩んで入学式を迎えたか分からないじゃないですか。
 
悩んだだけじゃないです。
 
これから「普通」という軌道から外れて生きる子ども達の将来の為に、
私達親の働き方も変わった。
学校とのやりとり、教育委員会とのやりとりに時間を費やした。
支援やサポートをしてくれる人や場所とのパイプ作りもそう。
私達は親として教育を受けさせる義務を果たすためにやれる限り行動した。
 
 
だから、いまホームスクールをしているご家庭も、
不登校で悩んでいるご家庭も、ご本人も、
 
誰かのどこかの批判から一度目を離して、
もう一回初心に立ち返って、
我が子や、
自分自身の心に
向き合って欲しいんです。
 
 
 
「協調性が育たない!」と言われても、
「友達との生活が社会性を育てるのに」と言われても
「こんな子どもが社会に出てきても迷惑なだけだ」と言われても
 
 
本当にそうなのか、もう一度考えてみてほしい。
 
 
私達の子ども達のことなんて、何も知らない人達が、
自分が生きてきた環境に照らし合わせて、
自分が協調性を学んだ場は学校だったからって、
そうじゃない人は協調性が育たないはずだと決めつけて、
ただ、知っている言葉を並べて批判しているだけです。
 
 何にも知らないのに。
 
狭い了見で何かを言っているだけです。
 
 
 
私は知っているからいいんです。
 
私の子ども達は、
こんなにも思いやりがあって、
人に優しくて、
動物にも自然にも優しくて、
純粋で、一生懸命で、
真っすぐ未来を見ていて、
友達も大好きで、
心許せる親友もいて、
 
批判を受けるところなんてひとつも見当たらない。
 
 
匿名でネットに人の家庭の悪口を書き込むような人たちと比べたら、
何百倍も、協調性があって、社会性があって、人間味がある。
 
 
 
議論するべきは、ホームスクールで育つ子達の学び場の多様化です。
中には学校にたまに行く子もいますが、たまに登校することは許してもらえない子もいます。
昼間に出歩いていると補導されてしまう心配もあります。
もっと学びたいのに「不登校」という立場が足枷になる場合がとても多い。
 
通信教育のツールに対する情報の獲得。
校庭や体育館のような体を思いっきり動かせる場所、
人との交流が日常的に出来る場所の確保も必要です。
 
様々な支援団体や組織が、
学校以外の学び場を選択している子ども達の為に今動いています。
 
そういう方達と繋がりましょう。
 
良質な情報と、心強い味方を得ましょう。
 
 
私も出来る限り、上記のことをサポートしていきます。
 
 

10より大きい数の引き算の計算方法|ホームスクール

我が家の末娘はアンスクーリングで育っています。

 

アンスクーリングはホームスクールの概念の中のひとつの学びスタイルです。
親から積極的に勉強を教えることはなく、子どもの主体性に任せて学習していきます。

 

私は、末娘に「勉強しなさい」と言ったことはありません。

勉強しなさいって一度も言わないでも自分で棚から何らかの教材引っ張りだしてきて勉強するんです。


一切、声かけはしないから「勉強したい」という気持ちのスタートでしか勉強しない。

 

勉強する時はいつも「勉強したいとき」

だから彼女の学習姿勢はいつも主体的でとてもいい学び方だなと思ってみています。

 

 

そんな娘が最近「10より大きい数の引き算」をやり始めました。

 

学校では小学1年生の算数の教科書(下)でやるところですね。

13-4=とか

16-8=とか

(10より大きい数)ー(その2桁の1の位の数字より大きい数の1桁)=という計算です。

 

娘は、こういった問題を学校からもらった教科書(娘は「ドリル」と呼んでいる)を使って頑張って計算していたんです。

 

私も、しばらく放置して娘が思うように計算させてみました。

 

すると、何問もあったんですけど、1回だけ、

「8-6は2でいいんだよね?」って聞いてきたんです。

 

「そうだよ」と答えましたがずっとそれが引っかかる。

 

こういう問題で、8-6の計算が必要になることってあるかな?って。

 

実際、教科書に載っている問題の解き方はこちら↓

 

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左の二桁をとりあえず10と分けて10から右側を引き、引いて出した答えと残しておいた1の位を足して解とする、みたいな。

 

普通の小学校に通っている、1年生はみんなこうやって習う。

 

だから、私も疑問に思ったわけです。

8-6の計算が必要になることってあるかな?って。

 

 

(10より大きい数)ー(その2桁の1の位の数字より大きい数の1桁)

だと、

11-(2~9)

12-(3~9)

13-(4~9)

18-9

までしかパターンが無いんですよね。

 

なんで8-6が出てきたんだろう??って、ひっかかって。

 

「できた!まるつけして!」って持ってきた問題をみても、

やっぱり8-6をやるような問題は見当たらない。

 

実際の問題はこちら

①13-4

②15-6

③16-8

④16-7

⑤17-9

 

で、娘に聞いてみた。

「どの問題で8-6をやったの?」って。

 

娘「16-8だよ」

 

「8-6をして2だったから10-2をして答えは8」

 

って( ゚Д゚)

 

要は16-8=10-(8-6)にしたということ。

 

「全部そうやって計算したの?」って聞いたら「うん」って。

 

本人曰く、10-8+6だと「なんで引き算なのに+がでてくるの?」って混乱してしまうらしい。

 

なるほどねぇ。

 

面白いねぇ。

 

ママは計算の仕方は自由だと思うし、答えは全部正解だったから「すごいね~!なるほどね~!」って大絶賛したんだけど、もし学校だったらこの途中式書いたら×されちゃうのかな?

 

 

今日も娘の自発的な学習は続く。